昭和22〜3年頃、少し上流の多摩川で遊んでいた子供が穴にはまって溺れてしまい、その流れ着いた 場所が地蔵の建っている付近であった。宇奈根の消防団が川に入って探し出したが、見つかった時には既に息絶えていた。その子供の親が建てたのが、この地蔵である。 宇奈根 世田谷区民族調査第10次報告 平成4年3月発行による。 上記の資料に写真があるが、その写真には地蔵が1つで屋根などはない。誰が屋根を付け像が3つになったのか不明。