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大蔵6丁目(永安寺周辺)について

砧のひびき12    10月2006年
大蔵への交通

私の現在住んでいる大蔵6丁目は歴史の宝庫です。我が家は昔々現在の大蔵を作った石井八太夫の別荘があったところです。ですから屋敷内に稲荷様・弁財天がまつられています。さて、何故この辺は大蔵というのでしょう。永安寺はどうしてこの世田谷にあるのでしょう。それは昔々の室町時代に迄話しはさかのぼります。永安寺は最初足利氏満の菩提寺として鎌倉の大蔵谷に建立されました。
氏満の法号「永安寺殿壁山道会大居士」にちなんで永安寺と命号さらました。その後足利家はほろび永安寺もすたれてしまいました。永享の乱のときただ一人生き残った家臣二階堂信濃守(にかいどうしなののかみ)の末孫清仙(せいせん)大和尚が永安寺の再興を発願し鎌倉大蔵谷と同じ地名の場所を探し求め武蔵野国菅刈庄中丸郷大蔵村(むさしのくにすげかりのしょうなかまるごうおおくらむら)をさぐりあて<現在の大蔵6丁目>延徳2年(1490年)、永安寺を再興させます。不思議な縁が結びつき、大蔵の地は永安寺を迎えいれたといえます。かっての大蔵村は、眼下に祖師谷方面から流れてくる宇奈根川という谷川があり水郷に出る経路が交錯していたようです。また岩井を意味する石井戸という言葉も深い谷すなわち大蔵を指しています。永安寺には、石井至穀等の墓、また千手観音像、薬師堂、さまざまな歴史をかいまみることができます。大蔵という歴史ある土地にすまわせていただき早21年、永安寺再興500年にもたずさわらせていただきました。氷川神社の再建にも、たずさわらせていただきました。今後も、大蔵の財産である永安寺、数々の歴史をひもといてみな様に伝えたいと思います。ではまず第一章はこの辺で。     Yoshie ・ Y

 たんぽぽコメント
『砧のひびき 12』に記事を書いたY ・ Yさんは、私の知り合いです。彼女に、私のHPに載せることを承諾していただいて載せさせていただきました。
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